- July 26, 1987 11:54 PM
- 8-hours
初めてサーキットに足を運んだ年1987年の鈴鹿8時間耐久。当時、南コースは未だなく、S字付近もいかにも山という感じで今よりいっそうのんびりしていた。
前年ポール・トゥ・ウィンで完璧な勝利をあげたロスマンズ・ホンダのワイン・ガードナーはドミニク・サロンとのコンビで3年連続の勝利を目指していた。マシンは2年目となるRVF750。対するヤマハ陣営はエースの平忠彦がフランスGPで負傷。フリー走行で出場の可能性を探ったがやはり難しく、TECH21レーシングはケヴィン・マギーとマーティン・ウィマーのペアがYZFを走らせ、平は監督としてピットに入ることになった。スズキはあくまで世界耐久選手権の一環というスタンスで耐久王エルヴ・モワノーが出場。GPライダーを擁するホンダ、ヤマハとは一線を画している。そして、この年もうひとつの話題、カワサキの復帰である。新開発のGPX750をサーキットに持ちこみライダーには往年のGPライダー、コーク・バリントンを起用する気合の入り方であった。
レースは定刻11:30にスタート。1周目から飛び出したのはポール・ポジションからスタートしたガードナーで一気に後続を引き離しにかかる。この頃、最も油が乗っていたガードナーはとにかく速い。前年のパーフェクト・ウィンを再現するかのごとくサロンとのペアは周回を続けた。
しかし、波乱は起こった。4時間が経過する頃、デグナーでトップ走行中のサロンが転倒を喫したのだ。クラッシュパッドのロープが絡みついた車体をなんとか救出したサロンはピットへとマシンを運んだ。サイレンサーがねじ曲り、シートカウルがもぎ取られた無残な姿のRVFを、それでもギー・クーロン以下のホンダスタッフは、再びコースへ送り出すことに成功する。これでレースは俄然面白くなった。追うガードナーは果たしてトップに追いつけるのか? 追いあげるペースからして終盤にトップと絡むかと思われていた矢先、2コーナーでサロンが2度目の転倒、ついにリタイアとなってしまう。ピットへ戻って詫びるサロンに、これでGPに専念できるとガードナーは答えたという。果たして、この年フレディー・スペンサーに替ってホンダのエースとなったガードナーはGP500ccクラスを見事制してみせたのであった。
ロスマンズホンダがコース上から消えた後、観客の目はようやくトップを走るチームへと向けられた。この時点でのトップはゼッケン45、ヨシムラのセカンド・ペアである高吉/グッドフェロー組であった。GPフル参戦前のケヴィン・シュワンツのライディングで前年の2位表彰台から今年は優勝を目論んだヨシムラであったが、エースナンバー12をつけたシュワンツのマシンはわずか10数周を走っただけでエンジントラブルで脱落。怪我の辻本に替ってシュワンツと組んだ大島は一度もコースに出ることがないままリタイアとなってしまっていた。
そしてトップ走行中の高吉である。注目されないままに堅実な走りでいつのまにかトップを奪っていた彼らは2番手のヤマハに40秒近い差をつけ淡々と周回を重ねていた。もしかしてこのまま行ってしまうのか? ヨシムラ優勝ということになれば78年、80年に続く3回目。10周年を迎えた8耐に新たな歴史を刻む勝利となるはずだった。
しかし、6時間を過ぎる頃、ヨシムラの背後に次第に迫り来る影があった。ゼッケン21、TECH21レーシングのケヴィン・マギーである。その差は20秒から15秒へ、マギーが前を行くヨシムラにじりじりと迫る。しかし最後のライダーチェンジを考えると追い着くのは難しいのか。ピットインしたマギーはしかし、給油のみでピットロードへと飛び出していった。ライダーチェンジなし、タイヤ交換もなし。ラップタイムの優るマギーを少しでも長く走らせる、初優勝への執念がうかがえるヤマハの賭けである。これで一気にヨシムラとの差が縮まった。続く周回でピットインしたヨシムラは予定通りグッドフェローから高吉にチェンジ。タイヤ交換はなし給油のみという作業で6秒5という非常に短いピットストップ。ヨシムラもまた3度目の優勝に向けて最後の力を振り絞っていたのだ。
ペースアップ! ヨシムラのピットからは真上を指した矢印が高吉に出され続ける。懸命に逃げる高吉と、執拗に追いかけるマギー。すべての観客の視線がこの2台に集中する中、太陽は次第に西に傾いていく。残り40分、ライトオンのサイン。特徴的な青いライトのヨシムラと黄色いライトのヤマハ。1周につき1秒近く速いタイムで周回するマギーは高吉との差を10秒まで切り詰めた。だが、もう時間が無い。誰もがヨシムラの勝利を確信した残り5分、周回にしてわずか2周。だが、再び波乱は起こった。
「さて、...番が転倒という情報が入ってきました...」
エグゾースト・ノートにかき消されてアナウンスがよく聞こえない。何番?
「さあー、2コーナー!ゼッケン45番の高吉が転倒ーー!!今、再スタートを切ったー!」
うわーっと思わず絶叫する我々。誰もが我が目、我が耳を疑った。しかし、先に戻ってきたのはTECH21のYZFだったのだ。狂喜するヤマハ陣営、モニターをじっと見つめるヨシムラのメカニック。再スタートした高吉がホームストレートに帰ってくる。スタンドの声援は耳に届いたのか。ダメージをうけスローダウンしながらもチェッカーを目指して最後の周回を続ける高吉がコントロールラインを通過した直後に8時間が経過、ヤマハはワークス参戦3年目にして悲願の初優勝を遂げた。負傷のため監督として優勝を経験することになった平が自身の手で8耐の栄冠をつかむのはまた別のストーリーとなる。そして、YZFが通り過ぎて数分、コース上最後のマシンがゆっくりと最終コーナーを下ってきた。高吉のヨシムラGSX-Rには優勝したかのようなひときわ大きな拍手が贈られ1987年の8耐は幕を閉じた。
劇的というにはあまりに劇的なレース展開に打ちのめされ、ぼーっとしたまま帰途についた私と友人たちは、以来今にいたるまで毎年鈴鹿詣でを続けているのである。
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